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記事: 出会いは、

出会いは、

出会いは、

カドヤの工場で革ジャン作りを生業とするようになるより前、僕はひとり黙々とレザークラフトに興じていました。
最低限の道具を揃え、財布やバッグなどを作っては失敗し、作っては失敗し、形になったら使っては改良し、人に使ってもらって反省し、路上に並べてみてもほとんど売れず、そんな時期がありました。
レザークラフトを始めたきっかけは些細なことでしたが、そもそも革製品に興味を抱くようになったのはいつだったか、
記憶は曖昧ですが、もしかしたら中学生のときに通っていた近所の理髪店で、少年ジャンプを読みながらソファーに座り散髪の順番を待っていたあの日だったのかもしれません。
といっても、ところどころ色褪せて、へたりきった小豆色のそのソファーは恐らく本革ではなかったはずですし、
床屋のオヤジがひげ剃り用のカミソリを研磨する為にシュッシュッとやる例の革の帯に魅了されたわけでもありません。
散髪を終えた先客が履いていた靴、 そこから目が離せなかったのです。
僕はそのとき生まれてはじめてエンジニアブーツを目にしました。
当時の僕はまだ、当然ながらオートバイには乗っていませんし、ロックンロールに傾倒していたわけでもありません。
何の予備知識もない青少年のこころを一撃で鷲掴みにしたエンジニアブーツの破壊力!いや包容力!!
その日から寝ても覚めても頭の中をエンジニアブーツが占領するまでには至らなかったにしろ、
いつかお金が出来たらあの靴を買おう、という思いが心の奥の方にひっかかる事になり、
数年後に手に入れたエンジニアブーツは、20年以上経った今でもギリギリ現役を保っています。
更に思い返してみると、
小学生の頃、自分の使っているランドセルはなぜみんなのランドセルみたいにツルツルでピカピカにならないんだろう?と疑問に感じていた記憶があります。
僕が使っていたランドセルの表面は少しザラザラしていて、細かくひび割れた断面は茶色く、全体的になんとなく薄汚れた印象でした。
近頃ではそれを茶芯と呼び、価値のあるものの様に取り扱われているシーンを目にしますが、
当時はそれが何故か古臭く貧乏臭く思えてとても好きにはなれなかったのです。
かといって、周りの小学生たちが放課後に集まって定期的に自分達のランドセルにミンクオイルをしみ込ませ、悦に入っていたとは到底思えませんし、そうだとしたらかなりショッキングな事態ですが、だから多分もともとの革質の違いが6年の長きに渡り露見したのだと思います。
しかし、長年連れ添った相棒をそう簡単に嫌いになれる筈もなく、努めて良い方向に考えたのか、ザラザラは本革でピカピカは革じゃないんだと思う様になり、ザラザラの他の子を見つけると心の中で、君も本革だね?と、見当違いの優越感で本当の不満を誤摩化していたようです。
ザラザラが牛革でピカピカが馬のコードバンなのに。
ただ、ここで少し気になったのでランドセルについて調べてみると、
現在、ランドセルに使われている素材の多くは革ではなくクラリーノと呼ばれる合成皮革で、
軽さと丈夫さを併せ持つクラリーノは誕生以来進化を続けていて、今ではランドセル素材の主流になりつつあるそうです。
この素材の誕生は1965年、その年から製品ランドセルとして世に出回っていたかは定かではありませんが、
少なくとも僕が小学生だった80年代にはとっくに製品出荷されていたでしょうから、
ピカピカの全てがコードバンではなかったかもしれないので、
本革を見抜いた少年の目はあながち間違っていなかった、という事にしておきます。
革製品との出会いがランドセルというのも少しあれなので、
レザージャケットの専門メーカーカドヤ
やはり、出会いはエンジニアブーツ、という事にしておきます。
【市島】