RACE TO THE CLOUDS
本BLOG でも何度か紹介させて頂いている新井泰緒さん。
KZ1000MK-Ⅱで参戦を続け、2004年にテイスト・オブ・ツクバ初優勝。
その後、5回の優勝を果たしている。
活躍は国内だけではなく、
2008年にはアメリカ・デイトナで開催されたAHRMAに参戦して3位。
2009年と2013年は共に優勝しており、
既にアメリカでもその名は知れ渡っている。
持ち込まれたワンピースツナギには83改め183に、
胸には第92回 PPIHCワッペン。
参戦者のみに与えられる勲章です。
遡ること2014年夏、新井さんは
友人、高野さんと共にZでパイクスピークへの参戦を決意した。
新井泰緒さんKZ1000MK-II(1980年式)と高野昌浩さんZ1(1973年式)。
舞台となるパイクスピーク(Pikes Peak) は、ロッキー山脈にある山の1つであり、
コロラド州東部の都市であるコロラドスプリングスが山麓に位置する。
この地で行われるパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム
(Pikes Peak International Hillclimb, PPIHC)、
別名「雲へ向かうレース(The Race to the Clouds)」として知られている。
初開催は1916年で、アメリカではインディ500に次ぐ歴史を持つレースでもある。
インジェクション付きの参加車両が多いなか、
キャブ車のしかもZで参戦するのは日本人で彼らが初。
ピットクルーはZ系チューニングSHOP "BLUE THUNDERS”(岩野代表)
をはじめ、関東のZ系ビルダー達が集結した。
車検の様子です。
レースは標高2,862m地点をスタート地点とし、
ゴールは富士山の標高より高い4,300m。
頂上までの標高差1,439mを一気に駆け上がる。
距離は19.99km、コーナーの数は156、
平均勾配は7%である。
山肌を走るコースにはガードレールがない部分が多く、
ひとつハンドルを切り損ねれば600mの急斜面を滑落する。
スタート地点とゴール地点で大きく標高が異なるため、
気圧、気温、天候といった自然条件が大きく変化する。
スタート地点では晴れていても、
頂上付近では雪やひょうが降ることがあるそうだ。
頂上へ向かうにつれて刻々と変化する
自然との闘いといった意味合いの強いレースであり、
急激に変化する気圧に対応しきれず、高山病どころか
目の前が急に真っ暗「ブラックアウト」になる危険を伴う。
一般公道を使用するため、練習走行は夜明け近くの早朝に行う。
頂上付近の気温は氷点下近く。 視界も悪く、悪条件が重なる。
時差ぼけの中、起きるのは朝の2時だそうです。
初めて走る道。
見た目に似たようなコーナーが点在し、
回り込んでいてキツいコーナーがいきなり現れる。
150キロ以上で入っていく右高速コーナー。
強烈な朝日が逆光で目に差込み 一瞬何も見えなくなるとか・・・
予選、タイムアタック、 新井さんは予選一位をマークする。
すぐ後には「ガイ・マーティン」
ドキュメント映画「CLOSER TO THE EDGE」で有名になった
マン島TTライダー。
グリップの良いサーキットの路面と違い、
タイヤが滑りぎみだったそうですが、楽しく走れたそうです.
「雲に向かうレースは本当だった」 とのちに新井さんは綴っています。
無事にGOAL !
総合53位、クラス2位。
クラスのトップはガイ・マーティン
差は1秒。
輝かしい成績を残しました。
おめでとうございます。
今回の大会において不運にも命を落としたライダーもいる
この命がけのレース。
来年も参加されるそうです。
私には今年一番の良い刺激でした。
きっとあの少年の心にも
響くものがあったに違いありません。
挑戦し続ける彼らを応援します。
【牛坂】