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記事: GO OUT BACK GO

GO OUT BACK GO

GO OUT BACK GO

数日前、KADOYA名古屋店のスタッフから修理相談のメールが工場に届き、文末にこう書かれていました。

「先日、市島縫製主任の古い知人の方がご来店されましたよ。 三重県在住のH様という方でした。」

「主任とはオーストラリアでお知り合いになられたそうです。当時のエピソードを色々と聞かせていただきましたよ。」



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私は20年ほど前、オーストラリア大陸を旅していました。


いろんなものの影響から、「オーストラリア大陸をバイクで走り倒したい」という考えに取り憑かれ、一心不乱に働いて貯めた軍資金を手に日本を旅立ちました。

「出来るだけ行き当たりバッタリの、無計画な旅がいい」

そんな思いから、初日の宿も決めないままシドニー空港に降り立ちました。



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なんとかなるもので、たどり着いたパステルカラーの建物。
いわゆるバックパッカーズホテル、安宿です。
私が通された部屋は、全く日が差し込まない陰気な2段ベッドの6人部屋で、当時で一泊約1500円。

当然ここの宿泊者はほとんどが旅人でしたが、シドニー近郊だけを観光する人もいれば、オーストラリアを一周しようとしている人、している途中の人、し終わって、日がな一日何をするでもなく過ごす人、人種、性別、年齢は様々です。
旅の手段もまたそれぞれで、電車やバスを乗り継ぐ人、車をシェアする人、バイクに乗る人。
私はバイクに乗ろうとしている人、でもどのようにどこまでいくか、まだなにも決めていませんでした。

宿には数人の日本人の先客がいて、私と同じく数日前にここに辿り着いたばかりの「新人」は、やはりどこかこざっぱりとしていて、逆に「し終わった」側は、もうなんでしょうか、良くも悪くも何かが磨り減ってしまったような雰囲気を漂わせています。

俺もこうなるのだろうか

とにかく、この安宿から旅が始まりました。



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これが私が選んだ旅の相棒。
HONDA CT110 ハンターカブ。

これもまた、偶然の出会いというか必然というか。
無計画でありたかった私は、ほとんど全くオーストラリアについて下調べをしていませんでした。
中古バイクの相場価格もそのうちの一つで、そのくせ根拠もなく「日本よりはかなり安いはず」と決め込んでいましたが、向かったシドニー郊外の中古バイク屋で、現実を目の当たりにします。

数日前まで見ていた日本の相場とほぼ一緒。
車種によりばらつきはありますが、どれもこれも私の予算の3倍程度。

そんな店内で、一番安かったのが、このハンターカブです。

結果的に、このバイクの走破性と頑丈さは、後の道のりで何度となく私を助けてくれました。
今でも私の中で、ハンターカブは特別なバイク、最強無敵だと思っています。



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シドニーを出発し、とりあえず反時計回りに進むことにした私は、東海岸を北上し、ケアンズに向かいました。
地図にすると、右下から右上となります。

かなり大雑把に言ってしまえば、オーストラリア大陸は外周ぐるっとで一周することができます。
大陸のほぼ真ん中に位置する有名なエアーズロックに行きたければ、大陸中央を縦断するスチュアートハイウェイを使い、内陸部に踏み込むことになります。
なので、大抵は「外周ぐるっと」では無く、「8の字」のルートが一周を意味します。

ただ、ストックルートと呼ばれる未舗装のダートロードを駆使し、斜めにショートカットしたりして、縦横無尽に走り回ることもできます。
ショートカットとは文字通り距離的な短縮ですが、それが早いのかと言えば当然それは別問題ですし、ルートによっては生死を分ける危険を伴います。

日本中の林道を走り倒した「オフロードジャンキー」達が、このストックルートを求めてオーストラリアに辿り着き、リスクを受け入れて砂漠に挑みます。

私は旅の中で、そういったツワモノ達と至る所で遭遇し、魅了され、熱くなりました。

行けるところまで行ってみようか。

相棒はハンターでカブだし。




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貴重な日陰を見つけると、必ず隠れて休憩。
木陰すら無いような砂漠地帯では、休憩の為にテントを立てることも。
カブは平気でも、自分がもちません。



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舗装路を走っているときは、このような残酷な標識が普通にあります。
4桁を見せつけられると正直ウンザリです。




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カブにはいつも、20リットルの予備ガソリンと2リットルの水を携帯していましたが、
この看板はさすがに緊張します。





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さすらい気分の旅も中頃、所持金の残高は既に心細い状況になっていました。

いよいよ働いて稼ぐことになり、西側のカナーボンという土地で、農作物の収穫の仕事をすることに。
カナーボンバックパッカーズという宿に転がり込み、毎朝畑に通いトマトやバナナを収穫します。

畑仕事の生活が慣れてくると、さらに宿代を浮かせる為オーナーに交渉し、宿内の掃除やらゴミ捨てなどの仕事をさせてもらい、それが終わると仮眠して、深夜には長距離バスの発着所までワゴン車で向かい、到着した宿無し旅行者に宿の斡旋をする客引きなどもしていました。

そうして軍資金を増やし、また次の目的地に向かって出発します。




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シドニー、ケアンズ、ダーウィン、パース、アデレードなどの主要都市には必ずバックパッカーズホテルなどの安宿があります。

都市に入るとそれらを利用し旅の疲れを癒し、次の為の準備を整えます。
大体そのような宿には同じようにバイクで旅をする連中が出入りして、その殆どは日本人だったりします。

そんな旅をする物好きは日本人ぐらいだと、オーストラリア人によく言われたものです。


都市部を結ぶ灼熱の道のりはバイクも自分も参らせます。
その為、一度宿にチェックインをすると、なんだかんだいって出発を先送りにしてだらだらと連泊することも。
この状態を皆「腐る」「腐っている」と呼んでいました。
腐る一番の理由は、ひと恋しさだったのかもしれません。

これは私に限った事ではなく、多くの旅人が、こうして移動と停泊のバランスを保ちながら旅を続けていました。




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その後も移動し、働き、腐り、移動しを繰り返し、多くのさすらい人と出会い別れ、旅に鈍感になってきた頃、
懐かしのシドニーのバイク屋に、ボロボロになったハンターカブを引き取ってもらい、旅を終わらせました。






KADOYA名古屋店とのメールのやり取りから数日後

たまたま、当時の旅仲間が集まり忘年会を行いました。

仲間のひとりが切り盛りする、駒沢の小さなイタリヤ料理店。

きっちり1年ぶりの再会。


「そういえば、三重に住んでいるHって名前の人、誰か知ってる?」

「ライダー?」

「だと思う」

「ラウンドネームは?」

予想通りの反応です。 

当時バックパッカーの間では、バイクに乗る人を「ライダー」、自転車の人を「チャリダー」などと呼び、オーストラリアを旅してまわる事を「ラウンド」、ラウンド中は「ラウンドネーム」という愛称でお互いを呼び合っていました。

帰国後、付き合いの続いている関係ですら、本名をうろ覚えだったりします。

「そうなんだよ、ラウンドネームがわからなくてね」

「そういやお前の本名なんだっけ?」

こんなものです。




あのころ赤土の大地をさすらっていたであろうHさんとは、いつ頃どこでどのように出会っていたのか、、、



【市島】