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KADOYAの歴史2−本格的なライダースジャケットの販売

東京・浅草は古くから革問屋が多く、皮革製品も盛んに作られていた。
そんな競争率の激しい浅草で、何故カドヤが国内はおろか海外でも知られるメーカーになったのか。
その理由を歴史とともに紐解く。

ブランドKADOYA、始動

1930年代。その頃は革ジャン用の革などはなく、お客さんが持ち込んだ革やカバン用に仕入れたものを利用していた。当時から既製品の革ジャケットも存在していたが、造りがヤワですぐに裂けてしまうようなものが多く、本物志向のライダーには「革ジャンはオーダーメイドに限る」という考えが根付いていた。

カドヤが本格的にライダースジャケットを作り出した約50年前は、特に外車に乗っているお客さんが多かった。現社長の深野正孝が最初にカドヤのロゴマークを作りそのブランドを確立し、全国にカドヤの名前を知らしめることとなる。現在のカドヤのマークと言えばクラウンマークと呼ばれる王冠を模した枠にKADOYAのロゴと日の丸が描かれているものだが、最初は馬のマークとローマ字の筆記体のネームを裏地に縫い付けていた。馬のマークは午年の正孝が馬好きだったからだが、その後長く使用されることになる。そしてそのマークはライダー以外のお客さんをも強く惹きつける象徴となった。

着る人のことを考えて作る。当たり前のこと。

「オヤジはお客さんを大切にしていた。そして自分の作った革ジャンに誇りを持っていた。皮ジャンは吊しを買うんじゃねぇ。寸法測って作らないと作る意味がねぇ、と常々言っていた。ハーレーやトライアンフに乗っているクラブチームの革ジャンをよく作らせてもらいました。それに有名人やスポーツ選手も多かった。学生当時、店の前に人だかりができていて何があったのかと覗いたら、店の中に坂本九さんがいてね。オヤジが採寸していました」
(現会長・深野正孝)

 

 

 

カドヤ製品の品質の高さは多くの人が知るところとなり、特に芸能人御用達と言われるほど有名人に愛用者が多かった。

若い頃のビートたけし、仮面ライダー1号を演じた藤岡弘をはじめ、石原プロの舘ひろしやカースタントをやっていた三石千尋には何着も革ジャンを作った。近年ではKUWATA BAND時代の桑田圭佑、仲村トオル、シャ乱Q、安室奈美恵などもカドヤユーザーである。

「プロレスラーやプロボクサーもいたね。両国の関取衆も親方に内緒でバイクに乗って革ジャンを作りにきた。彼らは既製品じゃサイズが合わないからオーダーメイドしか着られなかったんだろうけどね」 (現会長・深野正孝)

 

 

 

 

 

 

深野正孝 1975 昭和50年

二代目社長に就任。モーターサイクルの分野に集中し事業を拡大。 職人気質の物作りにこだわり、自身の趣味でもあったバイク用ウエアに特化。 柔軟で斬新な発想のもと次々とこれまでにない商品を世に送り出す。 下町の親父として各方面からこよなく愛されている。(現在は会長職に)